足るを知る(きほんのきのいえが表現しようとしている価値について)
- Category:代表・落合のブログ
お客様からの声、というのは本当にありがたいと日々感じます。
「こうしたほうがいい」「ここが嫌だった」「こうなっていてとても使いやすかった」
など、マル・バツのご指摘はどんな内容でも価値があり、うれしいものです。(もちろんバツについては大変申し訳なくも思うのですが…)
ただ時々、マル・バツではなく、私たちがやっていることに、私たちが気づいていなかった輪郭を与えてくれる評価をいただける場合があって、そういうときは涙が出そうなほど感動します。わが意を得たり、というシーンです。
つい最近、きほんのきのいえを検討いただいてるお客様がそのようなことを言ってくださいました。曰く、
「きほんのきのいえの、足るを知る、というコンセプトがいい」
と言っていただけたとのことでした。
きほんのきのいえを説明する中で、私たちは一度も「足るを知る」という言葉を使ったことはありませんでした。
禅語で言うと「知足」です。
近代建築で言うと「Less is More」でしょうか、これはちょっと違いますね
知足は、これで必要十分という基準を知ることに豊かさがあって、
これがないといつまでたっても「不足している」と感じ続けることになるとも言えます。禅語なので、煩悩と関連がある感じですね。
Less is More.は「より少ないことそのものに豊かさがある」という話だと思います。
要素を減らして抽象的にしていくことで本質的な美しさや良さが見えてくるという感じです。
私個人で言えば、大学・大学院時代は割と近代建築の延長(というよりポストモダンから回帰してきたころの現代建築?なのかな?)の教育を受けていましたから要素をそぎ落としてシンプルにすることを是とするのはモノづくりの大前提になっていますし、(諸事情で今は行けなくなってしまいましたが)裏千家茶道のお稽古の中で禅宗の影響が強い千利休の価値観にどっぷり浸かっていたいた時期(20代後半から30代)もありますから、どちらも私にとっては、血であり肉であり骨となっている価値観です。
そういったものを一旦全部横に置いて、全く意識せずに「市場にはこういうものが必要なお客様が絶対居るだろう、これを提供することこそが使命だ」と考えて作ったものが「きほんのきのいえ」だったのです。
なので、「知足」も「足るを知る」も「Less is More」も意識はしていなかったし、自ずと言葉としても使っていなかったわけです。
「足るを知る、というのが良い」と言っていただけた瞬間、残り30分で伏線が次々と回収されていく映画を見ているような感覚になり、鳥肌が立ちました。
そういえば、これまでも、きほんのきのいえを選んでくださったお客様からは「もうこれでいいじゃん」「必要なものは全部入っているね」など必要十分であることを感じてくださったというようなお言葉をたくさんいただいてきていました。
「きほんのきのいえ」の標準仕様をどうするか、設計ルールをどうするか、などこの1年考え迷い続け、ブラッシュアップしてきましたが、前述のようなことを価値の中心に据えると、少し見え方が変わってきます。
4月1日以降のご提案分からきほんのきのいえの仕様はまた少し変わりますが(あと10日しかない涙)、今後も全体の見直しをかけていき、より価値を明確にしたものにしていけたらと思います。
マドリヤ落合