家づくりのテーマについて
- Category:代表・落合のブログ
落合です。
最近、事務所で一緒に働いている仲間に「テーマは何か?」と問うことが多いです。
会話は時にキャッチボールにたとえられますが、キャッチボールのテーマって無いですよね。無くないですか?
ほら、バッターが立ってて、その横にキャッチャーがしゃがんでいて、そこへボールを投げましょうという場面でしたらピッチャーのテーマはいかに打たれずに三振をとるか、になりますよね。
でもキャッチボールはボールが行き来するだけで、それを楽しむだとか体をあたためるなどの「行為自体の効果」はあるにしても、参加している人どうしの「場のテーマ」はないですよね。
キャッチボールがテーマなしで続けられるのであれば、会話もまた然りです。
延々となんのためかわからない会話をすることもできますし、それもまた良しです。
落合はわりとナチュラルボーンto be せっかち野郎なので、社内ミーティングで「ごめん、これ何の話だっけ」と口をはさみがちです。
限られた勤務時間を使ってわざわざ対面してキャッチボールをする場面なのか、「三振かヒットかを決める場面」なのか。どちらがテーマか。
キャッチボールがダメ、と言いたいのではなくて、今はどちらなのかに意識的であるべきだということです。球を投げる、あるいは会話するという行為で何を達成するのか。
※余談ですが、私の参加するミーティングでは意図的に会話のキャッチボールに興じる場面もありますし、なんならその方が多いかもです。
一方で、設計の仕事も、実はテーマがなくてもできてしまいます。
まさに設計の「キャッチボール」です。なんのこっちゃ。
その答えだけを具体的に言うと、「建物の設計」をするようになっている状態です。
「え、普通じゃね?」と思われるかもしれませんが、大問題です。
設計そのものが目的化していて、何を達成しようとしているかが自覚されていない状態。そんな状態でも建物はできてしまいます。
私たちは幸運にも、住まいの設計を任せていただける会社になりました。
なので、私たちのテーマは「新しく生まれる生活」についてのことにならなければなりませんし、建物はそれを実現するための手段です。
ここで手段「でしかない」と書きかけてやめたのですが、もちろん手段にも価値がありますし、私たちが提供できることの大きな要素です。
手段はつまり、ボキャブラリーと言い換えてもいいかもしれないです。
豊かなボキャブラリーからは奥行きのある文章が生まれますよね。
逆に、ボキャブラリーだけでは文章は作れません。
伝えたい思い、書き留めておきたい概念、描写したい風景など、そこに表されるべき意味がなければただの文字です。
一方で、小学生でもわかる簡便な言葉でつづられた一行の文章が、とてつもない深みを感じさせることもあります。(私はどちらかというとこっちのほうが好きです。これはきほんのきのいえで目指している世界ですが、それについてはまた今度。)
おかげ様で16年目に入るマドリヤですが、作業に慣れてくるほど気づかないうちに使い慣れたボキャブラリーの羅列のようなアウトプットになっていくのだなと感じます。
寸法しかり、素材しかり、コミュニケーションしかり。
そういうのを見るたび「で?何が表現したいの?」となり、テーマは何かと問うことになるのです。
大学で建築学科に入りますと、建築とは何か?建物と建築の違いは何か?と問い続けることになります。私は優秀な学生でもなんでもありませんでしたが、建築少年が46歳になった今でも問い続けていて、でも最低限確信していることは、
建物というボキャブラリーで語られる「何か」があるものだけが建築になれるのだと思います。
「何か」を「テーマ」と表現するとわかりやすいかなと思ってよく口にしていますが、かえって意味を狭めている気がしています。「何か」が一番合ってます。
「何か」は本当になんでもいいのですが、
・いつもの家事が楽しくなる
・季節の色の変化を天井が受け止める
・コレクションがピッチリしまえる
・家に入ると気分がゆるむ
とか、本当になんでもいいと思います。
ただ、私たちは営利目的で住宅をデザインさせていただいているので、
そこに込められた「何か」は、「このご家族にとっての素敵な何か」であってほしいなといつも思っています。
何の話でしたっけ?
そうだそうだ、「テーマは何か」についてですね。
さて、家づくりのテーマは何にしましょうか。じっくり聞かせてください。
落合