「奇抜なデザイン」を期待される場合について
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落合です。
昨日、土地購入前のプラン提案を見ていただいた方との議論で気づきがありました。
いつものようにご提示いただいたご予算に収めて組み立てたプランを提示し、ご説明しましたが、想像されていたものと違っていたようです。
私たちになりに優先順位を組み立てて作る最初のプランは、多かれ少なかれイメージとのズレがあるのですが、いままでに接したことのないぐらいのネガティブな反応をいただいたと思います。
お話を伺うと、もっと思い切ったデザイン(飛び道具のような)を期待していた、という旨のご感想をいただきました。
ご期待いただいていた方向性を最初のご相談の際に汲み取れなかったことは反省しなければなりません。
ただ、最初にそういったデザインをご要望いただいていたとしても期待に添えたかは疑問です。
マドリヤ社内では常に、・将来にわたって意味があるか(長持ちするか)・生活に立脚しているか・周辺環境を含めた社会に対してよい影響があるか・状況から要求される問題に対する論理的な回答か・コストパフォーマンスが出ているか・マドリヤらしいかを自問自答します。
奇抜さを入り口にしたデザインは上記のポイントを満たしません。
マドリヤにも客観的に見て個性的な設計事例はありますが、それは個性を目指して作られたものではありません。上記の自問自答の結果、この場所にこのお客様が住むための最善策はこれ、と(お客様と二人三脚で)辿り着いたデザインが、たまたま個性的に見えた、というのが正しいです。
私の家も妻(建築士)と一緒に考えたデザインですが、「この土地だったらこれが普通だね」「こんなんでいいね」と決めたプランや外観なのですが、第三者に内覧していただくと「面白い家ですね」と言われます。

その土地、その人にとっての普通を作るのが私たちの最優先事項です。「昔からここに建っていて、ここに住んでいたような気がする」というのが理想形ですね。
設計事務所らしくない、と言われればその通りかもしれませんが、それが「マドリヤ(間取り屋)」です。
落合